家づくりは、建主の気持ちを深く掘り下げて「本当は何を欲しいのか」を
整理し、そのためには「どんな要点を押さえたら求める収穫ができるか」
を模索することから始まります。
日本の気候、風土、文化にふさわしい住まいを求めることが基本です。
人間そのものや人間にとても近いもの(暮らし方・食べ物・衣服など)といった衣食住は、それほど急に変化するものではありません。つまり、建築も本質的な部分では革命的なことはなく、制約の中で独自性や創造性を発揮していくことです。こんな意味での本質を、ごく当たり前でありながら「いい住まい」を本気で追求しています。住まいは人生の質を左右すると思います。
建主の現実をよく理解したいと思います。そのために、とりあえず8年後、どんな生活をしていたいか想像していただきます。次に、自分が家づくりで大事だと思う事を5つ、順番にあげていただきます。このように建主の価値観を見極めることは設計の方向性を決めるために必要です。その方向をめざして、設計者は建主の望む生活のための家を具体的に提案するのです。
敷地は個々に異なり、長所と短所があります。それはかならずしも絶対的なものではなく、禍を転じて福とできる可能性があります。敷地の特性を見極め、「土地の力」を発見するのが設計者の観察力です。
要望や制約から住まいのビジョンをイメージし、それをいかに具現化するかが設計能力です。広い視野から時間と空間さらに人間の本質を見つめ、イメージの実現に的を絞った戦略が必要です。
住宅の設計において、間取りやコスト、耐震や免震、エコや断熱も大切ですが、大切なのは総合的なバランスです。ナウハウスは、設計者自らが個々の建主ごとに方向を見極め、制約を乗り越えて最初のビジョンの実現に集中します。ここがナウハウスと住宅メーカーの営業との打ち合わせの決定的な違いです。
家づくりは自分を見つめることから始まります。逆に、家づくりを通して自分の現実を知って欲しいのです。
今の自分に本当に必要なものは何か。自問自答だけでは堂々巡りしがちです。煮詰めるには会話が必要です。会話の相手は家族であり、設計者であるのです。家づくりは大きな買い物です。日々の生活を見極めて曖昧な家づくりはしないことです。多重の視点から家づくりをするのですが、その見極めは建主だけではできません。設計者の助けが必要です。広い視点から検討された家は、時間の経過の中で生活の中に発見があります。家づくりは大きな買い物なので、的確な判断をすることによってかなりの貯金をしたことになります。それで、いい家には宝が埋まっているといえるのです。
家に居ることそのものが楽しい。企画もできます。人生を応援してくれる家がいいと思います。すなわち「望む生活がこの家にある」ことになります。かつて、「費用のかさむ旅行で、泊まる日数が少なくなった」と語ったクライアントがいました。
住まいは人生劇場の舞台です。こうありたいと振る舞える家であって欲しいと思います。忙しい毎日ですが、ハレの日もあって欲しいものです。
また、とかく人は雨を疎ましく思いがちですが、そんな日も大切な人生の一日です。雨もまた楽しいと思えるしかけが家にあって欲しいものです。
宝(価値)が思わぬところに隠れています。自分の心に耳をすまし、青い鳥を探しましょう。青い鳥は近くにいるものなのです。一掘りして「コロンブスの卵」を見つけられたら、厳しい創造の次元です。
男の子は怖いね
中学3年生です。近
くの小学校で、ゴム
草履で大車輪をして
います。当時は東京オリンピックブーム、中学でも鉄棒が流行しました。中学では逆上がり,蹴上がり、巴(ともえ)程度の技しかありませんでした。テレビのウルトラCのカッコ良さにしびれ、逆上がりもできないのに一念発起して,ふたりの仲間と大車輪に挑戦しました。何回か落ちて手首の捻挫をしながら手首の回しのコツを覚えると、数ヶ月後には大車輪ができるようになったのです。自信があるわけでもなく、あてもなく、遠い目標をがむしゃらに実現した初めての経験です。「男の子は怖いね」と母が呟きました。目標を立て、それを達成する自我がここからスタートしました。私の最初の革命でした。
黒ビールとサンドウィッチの旅
20代の終わりに思い立ち、設計事務所を退職し、アメリカとヨーロッパの建築を巡る3ヶ月の旅に出ました。アメリカなるパンとヨーロッパなるハムの「文化のサンドウィッチ」を味わい、比較する旅です。言葉は受験英語、資金は100万円、微かな「つて」を辿っての初の海外です。それこそ「今でしょ」で、失うものは何もなかった。レートは220円/ドル、羽田から出て帰りは成田でした。宝物の思い出があります。夢のようですが、ハーバードの客員教授の吉坂隆正先生とお会いでき、黒ビールまで御馳走になったのです。先生は冒険をしている者に優しく、多くのアドバイスをいただきました。3年後に先生は亡くなり、黒ビールは先生の味となりました。時を経て、この旅が私の革命であり、人間を成長させたことが身に沁みました。「虚しく往きて実ちて帰る」でした。
あこがれ
大学時代、少し絵を描いていました。森真吾という画家に会ったことで、絵を描く意味を学びました。「心を込めること」とか、「人間の生理」とか、「キッチュの意味」とか、本質や本気の次元で影響を受けました。その後1年を経て描いた絵が、南木曽の山の「あこがれ」です。「あこがれ」という命名は多分にドン・キホーテ的です。絵を見ると当時の状況を生々しく思い出します。設計で生きていけるか見通しがたつはずもなく、持て余していたエネルギーを絵にぶつけていました。「あこがれ」というタイトルで、行動美術協会の公募展に初入選しました。
伯耆流居合術
ものごころついてなぜか日本刀の美しさに魅かれていました。こどもの頃は単純に「神秘」でしたが、今はその美が生死に対峙することにあると思うのです。日本刀には日本人の柔軟な思考と技があると分かると手に取りたくなったのです。刀を自在に扱う居合は「美」そのものでした。私の居合は伯耆流居合術、全日本居合道連盟7段です。筋金入りの師範に出会い、早朝1時間半、週3回の稽古を15年間続けました。居合は直接の相手がなく、型の反復練習です。「後の先」は鞘の中にあって、機先を制して抜き勝ち、「残心」で備えます。「勝ちは鞘の内」、威圧で刃傷沙汰に及ばないことが極意です。伯耆流の「戈止めと専伐」は「技を疑うな、技を試すなとしながら、抜いたら斬れ」という教えです。この二律背反に真理があります。6年後の全国個人段別競技大会4段の部の準優勝も私の革命です。
ボルダリング(クライミング)
週2回ほどクライミングジムに通い、時には自然の岩場にも行きます。大人になってから、『初めて出来た!』と思えることは余り記憶にありません。初めて自転車に乗れた。という感覚は遠い昔になりました。ところが、ボルダリングは初めて出来たという達成感を、その都度感じることが出来きます。
鉛筆デッサン
高校3年~大学1年にかけて静物デッサンを練習しました。この時に発見したことは『よく見る、考えて見る』ということです。
バイク
学生時代に仲間3人で北海道ツーリングへ行ったことがあります。最北端の宗谷岬を目指して、ひたすら走り続けました。それにしても、北海道は広かった。7日間で約2400キロ、新潟から小樽まではフェリーで片道16時間かかります。1日平均して400キロほど走っていた計算です。有料道路は一切使っていません。日程の半分は雨天という非常に過酷な旅でしたが、人馬一体となり、五感で感じるツーリングとなりました。
「ナウハウス」はバウハウスに因みます。
ナウは(時代についていく)とか、(今の時代の)とかの意味です。
そもそも建築の本質は変わらないことを前提として、「時代の新たな切口を見つけることが創造」であり、この意味で建築の本質を追求したいと思います。
かつて、卒論の「パウル・クレーによる生成の概念」で、クレーとの関連でバウハウスを学びました。
「バウハウス」のバウは本建築の大聖堂に対して、現場の仮設小屋を意味する「バウヒュッテ」が語源だとされています。
時代は絶えず動いていますが、人間に関することや建築の基本的なことは出尽くしていると思っています。ただ文明は進歩していますから、新しい材料やコンピューターのおかげで「新しい建築の手法」は出てくると思います。しかし文化的に本質的に新しいのではなく、「時代の新たな切口」を見せてくれるに過ぎません。その切口がナウです。建築も「不易流行」です。
さらに、クレーがバウハウスのマイスターだったことが重要です。私の卒論はクレーのバウハウスでの講義録「造形思考」によって「パウル・クレーによる生成の概念」を論じるものでした。クレーの講義がない講義録は、造形作法の羅列としか思えず、難解で閉口しました。一方、クレーの作品は生き生きとして、創作によって美しく飛躍しているのです。この経験は、「建築に伴う制約の克服」において、ナウハウスの設計手法に大きな影響を与えました。
建築設計において、建築を実現するために多くの制約があります。
たとえば、飛行機が離陸できるということは、抵抗であった空気の上に乗ることにより、空を飛ぶという自由を得たこと考えたのです。つまり、「離陸」という概念とは、抵抗や制約を克服し、逆に利用してしまうことなのです。
設計において、制約の中にさえ実現を可能にするヒントがある、と考えていいのです。