3月初旬、雪の残るピレネーのアラン谷やボイ谷を中心に、25のロマネスク教会を行脚しました。
その教会は聖堂と塔と墓地が置かれ、村人の日々の生活を支える山寺です。かつて、ヨーロッパが紀元1000年の終末思想から解放されると、11~12世紀には地域の教会が盛んに建てられました。聖堂と塔をつぶさに見ると、それぞれのつくるべき動機が異なるように感じました。
たとえば、ヴァルの聖母教会は洞窟と石積みの聖堂で、ロマネスク教会の原点のようです。分厚い石積みの聖堂は洞窟的空間の石の伝統を継ぎ、聖堂のバシリカは平面計画や構造といった実用的な理由があります。ル・トロネのような禁欲的な修道院と異なり、ピレネーの山寺の内部は素朴なイエスの物語の絵やキリストの彫刻があり、村人の生活に寄り添っていると感じました。
塔は、といいますと、見るからに建設には多大なエネルギーを費やしているにもかかわらず、納得できる実用上の理由が見当たりません。タウルのサン・クリメント聖堂の美しい鐘楼を登りました。しかし塔は構築物そのもので、建築空間を確保していないのです。塔はランドマークや鐘楼以外の目的が確かに他にあるのです。高く美しい象徴は、実用では語れない人の心が求めるもので、儀式や慣習にもある、人間の精神の高みへの衝動に違いありません。