ポロック展で愛知県立美術館へ出かけた。かつて見たポロックよりクラシックに見えた。その後、美術館の所蔵品展を廻った。思いがけず森真吾さんの「きいろの角」があり、35年前の思い出がよみがえった。
(肉質な壁とのS氏の一方的な対話A 1976-8-1)
森さんのオートマティズムやドリッピングの手法は、アンフォルメルの影響が色濃く、内面をまさぐる手触りを通して現代人の不安や痛みが顕在化されていた。学生時代、ユマニテ名古屋で森さんの「カオの構造」を見て感銘を受け、私はこの画家の「押しかけ生徒」になることを決めた。絵を買えるまで授業料はいっさい払っていない。私は自分で絵を描くことをやめ、建築に専念することにした。
(星になりそこなった男の肖像 1976-8-15)
当時は磯崎新の全盛期で、理論や理屈ばかりが先行する風潮であった。周囲も実作で思考を重ねることがなく、自信も責任もなくて言葉だけがむなしく飛び交った。建築事務所に入れば残業200時間に耐えて新建築社のコンペに応募し、見通しのない暗闇でもがいていた。
口腔センターのコンペの後の議論の中で「世の中はいい建築ばかりを必要としていない」ことになった。極めて厳しい、現実認識あるいは自己認識であるが、建築家たらんとする意思のない言葉を聞いて私は耳を疑った。こうして実作がない時代を危うく過ごしていた。
時を経て設計を続けるうちに、実務の中でも絵を描くようにイメージを具現化することができることに気づいた。建築の確かな手ごたえのない私を支えたのは、感動できる絵が確かにあるという実感である。それは辛うじて私の内なるリアリティを支え、とりあえずは次の一歩を踏ませてくれた。見通しがない中でも次のステップを踏むことが重要なのである。求め続ければいつかは光が見えると信じている。