最近、安藤さんの建築を見直す機会がありました。「命拾い」でも触れましたように、心臓カテーテル治療で3日間の入院したときに、「安藤忠雄の建築 1・2・3」と自伝の「建築家 安藤忠雄」、「安藤忠雄 建築手法」を持ち込み、一気に目を通してみました。
建築などは独学でしかないと思っていましたが、安藤さんの独学の悩みを聞くと、なるほどと思いました。師を持たないこと、建築を語る仲間がいないことだったと言っています。安藤さんは持ち前のバイタリティで、建築を始める前からしばし東京に出て、芸術のアバンギャルドと親交を持っていました。横尾忠則、田中一光、高松次郎、篠原有司男、篠山紀信、倉俣史朗。地元関西では、吉原治良ひきいる具体美術協会と接触を持ち、白髪一雄や村上三郎の前衛の極みの中に、目指すべき表現者のあるべき姿を見出していたように見えます。
(ルイス・バラガン サテライト・シティ・タワー)
1976年の「住吉の長屋」は衝撃的でした。屋根伏図を見ますと、3軒長屋の真ん中にコンクリートの箱が割り込んでいるイメージが画期的です。「ローズガーデン」で見るように、本来、器用な安藤さんが、意図的に、表面的なテクニックを労することを避け、抽象的アプローチで、建築的深度を深める方法をとったことの懸命さに驚きます。形態が建築的純度を高めていきながら、プログラムは洗練されていくのですが、その自律性を持った形態は古典的ですが、現代に通じる普遍性を持っていました。この方法は安藤さんの建築を特徴づけています。プラグラムの設定における極めて実用的な配慮と、光と壁を使った演出は、安藤さんの師とも言える西澤文隆の示唆が大きいと思われます。
その後の「小篠邸」、「六甲の集合住宅 1」、「TIMES」、「六甲の教会」、「光の教会」と、どんな新しいシーンに対しても、かつて前衛の極みの中で培ったアバンギャルドの精神と、建築的深度を深める方法は発揮されています。
安藤さんは打ち放しコンクリートにおいてルイス・カーンに大きい影響を受けたと言っています。しかしもうひとりのルイスについては何も語っていないのです。もうひとりのルイスとはルイス・バラガンのことです。誰も触れていませんが、私はずいぶん昔、80年代頃にルイス・バラガンの色を取ったら、安藤さんじゃあないかと、直感的に感じたことがあります。1997年に、メキシコにバラガンを見に行く機会がありました。安藤さんはバラガンとも交流があったと、バラガンに親しかった家族から聞いて、ますます安藤さんはバラガンからも影響を受けている念を強くしました。ルイス・バラガンの自邸の居間に、ジョセフ・アルバースの正方形礼讃がかけられていますが、安藤さんの好みとぴったり一致しているように思うのです。不思議に思うのは、ルイス・カーンからは影響を受けていると認めていて、なぜルイス・バラガンのそれを語らないかということです。
(ルイス・バラガン ロス・クルベス)
安藤さんの「住吉の長屋」は、どれほど小さな建築であっても新しい提案ができることを教えてくれました。安藤さんは、独学ゆえに新しい建築の道を切り開くことができました。「安藤以前」と「安藤以後」では建築界は大きく変りました。安藤さんの建築がパワフルゆえに、極端に言えば、世は「アンチ安藤」と「シンパ安藤」と分かれ新しい建築の模索をしているように見える、というのは言いすぎでしょうか。安藤さんは妹島さんと西沢さんのチームを高く評価し、自分にない資質を十分認めています。安藤さんの建築の強みが弱みになるところに、新しい建築のヒントが潜んでいそうな気がいたします。それにしても安藤さんの方法はパワフルです。
(ルイス・カーン ソーク静物学研究所)