ナウハウス所長の鈴木です。今何を感じ、どのように建築に向き合っているのかを伝えていければと思います。
ナウハウス一級建築士の高橋です。設計を通して感じたことや現場の進捗を気軽に綴っていきたいと思います。
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芸術の秋・収穫の秋 (Ⅰ)
2006-10-03
池田20世紀美術館で大岩オスカール幸男展が開かれているということで電車とバスを乗り継いで伊豆の伊東市まで出かけてまいりました。「見えない反射」というタイトルで、「世の中のできごとの撮影された映像を見て情報を得ていることは本当の現実の反射を見ていることではないか」いうムズカシそうな展覧会でした。
入れ歯、テクノザウルスの足跡、リサイクルのゴミウィルス,燃えるごゴミウィルス、栃の心、フルーツ、男と女、フラワー、パン・デ・アスーカル、男、トンネルの向こうの光、動物園、モンキー、お客様、古代美術館の入口、橋のかかった風景(レンブラント)、メデュース号の筏(ジュリコー)、太陽(ターナー)、温室効果、戦争と平和、きのこ、島、白雪姫、滝、壁、スパイラルといった言葉をイメージさせる日常の風景を暖かい眼で、しかも無防備なタッチで、ユーモアたっぷりに、しかし鋭く見立てています。
よく分からないのですが、最後の絵は「反射」というタイトルがつけられ、ハリケーンかなにかでやられた家屋が、点対称にひっくりかえって対比されています。なかでも「戦争と平和」は、郊外の日常の風景の夜と昼を、それぞれ戦争と平和に見立てていて、その対比の効果がすばらしく感動しました。それぞれが2m×4mを超える大きな絵で、左右を注意深く見比べていくと夜の暗闇の絵画的利用で、トラクターに積んだ材木が大砲のように見えたり、案山子が墓地に立てられた十字架のように見えるのです。右手のこんもりと茂った豊かな樹木はなんときのこ雲に変身しているのです。それらが時間をかけて丁寧に描かれています。深刻ぶっているのでもなく、心をこめて画家の見たイメージが描かれているのです。いたるところに垣間見えるウィットがこの絵を支えています。
オスカールさんの絵がパースペクティブで、しかも光への意識が強いと思いました。はたして彼はサンパウロ大学の建築学部を卒業していて、空間の意識が身近に感じるのは、なるほど建築的アイデアを絵画に応用しているからに違いないと思いました。「見立て」とか「対比」とか「パースペクティブ」とか「光への意識」はすべて建築を構成するキーワードです。
じつは大岩オスカール幸男さんは、住宅の設計をナウハウスに依頼された、30代前半のクライアントに「希望する住宅のイメージ」として渡された雑誌に特集されていた、現代美術のアーティストでした。本だけではイメージをとらえきれないとの思いでオスカール展を見に来ましたが、大きな作品を前にしてオスカーさんの肌合いだけはつかめたような気がいたします。
最近、わたしのこれからの現代建築に「余裕のある建築」というイメージが芽生えつつあります。マセた建築、セカセカしたりギスギスした建築はもとより好みませんが、「思いつめた建築」もかなわないなーと思うことが多いのです。新しさや厳しさを競う現代建築の中に、もっとコミュニケーションできる余白が欲しいと思うのです。いまの建築になにか余裕がなさすぎると思います。厳しい条件の中で建築の設計は行われますが、やせ我慢であっても余裕を持とうとする意識を持つことによって、何かの変化が現れてくるはずです。
オスカールさんの絵の中に、ユーモアにくるまれた鋭いメッセージがありますが、おっとりとしたところがあって、なぜか共感を誘うのです。それはナウハウスにとっては設計の姿勢、もっといえば生きる姿勢にかかわることなのだと思います。オスカール展を見てわたしが得た最大のものは、「これからの建築に必要なものは余裕ではないか」ということを確認したことだと思います。
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