1月末、東京の建設会社に招かれ「環境デザイン 地方からの発信」というテーマで講演会を行いました。近作の「隙屋」から「ZOOO」ずだじ幼稚園、「Body&Soulナウハウス」を例にお話をさせていただきました。
わざわざ「地方からの発信」とした理由は、地方が都会より不利というばかりではないこと、また価値観はきわめて多様であり、不利な条件と思われていることが必ず不利というわけでもなく、見方を変えれば予想外のよい結果を得られることを強調したかったからです。
「隙屋」は東京に住んでいた方が、都会に住んでいたから地方のよさがよく分って、交通の利便を熟慮して浜松に住居を構えたものです。地元に住んでいては分からないところに目をつけ、成功した例です。クライアントは売れっ子の建築写真家というアクティブな職業であったこともうまくいった理由です。交際範囲も広く、全国からさまざまな仕事のプロがおみえになり、浜名湖の恵みを満喫されています。「隙屋」の空間を、「これまでに触れたことのない心地よい空間を堪能した」との感想に、設計者冥利に尽き、恐縮しております。
「隙屋」のコンセプトは、クライアントの「住まいは、至れり尽くせりでなくていい」ことから始まりました。人生を経て、ものごとが分かっている人のスタンスです。現代の住宅は高気密・高断熱がいいと一律的に思いすぎているのかもしれません。浜名湖の温暖な環境を利用して、環境に適した住まいを作る。最小のしつらえでコストを減らし、自然を楽しむ生活をする。自然な生活から逆に気候風土に根ざしたアクティビティを見つけて、豊かさを満喫するということです。
「ZOOO」ずだじ幼稚園は、2000年に設計した真言宗のお寺が経営する私立の幼稚園です。2010年の正月、テレビで宮崎駿監督と養老孟司さんの対談があり、三鷹の森「ジブリ美術館」のとなりの「夢の保育園」を話題にし、子供の育て方を論じていました。
「夢の保育園」は、過保護な現代の風潮へ疑問を呈し
1.やたらにバリアフリーにする風潮に対して、階段をいっぱいつくった
2.子供にバランス能力をつけるように、わざと敷地に凹凸をつけている
3.池を作って、子供が水に落ちたり汚れることを恐れない
4.地下室や暗闇をつくって、闇の存在を教える
5.刃物から遠ざけない。危険なものから離れすぎさせない
というようなことをあげて、
「生きるということは危険と隣り合わせであるから、こどもの危機回避能力を育てなければならない」ことを強調していました。
じつは「ZООО」も2000年の段階でそんなコセプトで幼稚園を作っていました。私の子供のときは、遊び場が森の中、田んぼ、小川、防空壕でありました。私のノスタルジーもあって「怪我をしても、死ぬことはないだろう」と自然がいっぱいの幼稚園を作りました。安全は十分考慮しました。
地方の幼稚園として、都会とは異なる地域の良さを引き出し、大きなキャパシティを持った施設であろうと心がけました。周囲の畑で色々な野菜を育て、収穫する喜びも味わっています。この幼稚園は一見すると幼稚園に見えないかもしれない。しかしこの形態は、ローコストで、地方ならではの立地を生かし、初めて経験する社会として子供の想像力を喚起させる、新しい幼稚園のかたちを実現したいと思ったからでした。
建築の実現にはさまざまな困難が伴います。敷地条件や法規、構造やコストでがんじがらめですが、これを逆手にとって建築として実現すると、問題点であったことが場所の魅力になります。できてしまえばその建築は力強く、のびのびとして何のしがらみも感じさせないことがあります。「離陸した設計」とは飛行機における空気のように、抵抗でしかなかった多くの制限を「建築を支える力」に変えることに成功した設計だと考えています。
「Body&Soulナウハウス」は私の事務所であり、住宅です。1985年に竣工しましたから、25年が経ちます。4半世紀も経ちますと人生のほとんどを経験します。この家で結婚式からジャズのライブ、会社の創立総会、浜松祭りの初子のお祝い、昨年の父の葬式などすべてを行いました。この家は昔の田舎の家のように、冠婚葬祭、ハレとケに対応できる家として企画しました。
心ある建築設計者は、「ゲニウス・ロキ」という、「土地からインスピレーションを連想させる概念」があることを知っています。他の土地では成り立たないが、特定の土地では極めて有効なインスピレーションとなる「土地特有の力」が「ゲニウス・ロキ」です。
「隙屋」、「ZOOO」ずだじ幼稚園も「ゲニウス・ロキ」の力を使って設計をしました。「Body&Soulナウハウス」は、さらに「ゲニウス・ロキ」に人間の儀式や慣習を設計の要素として加え、イメージの源としました。建築設計に時間軸を導入するという壮大な試みです。フロアーごとに空間にヒエラルキーを与えてハレとケの節目づくりに対応させました。
独立しますととにかくいろいろなことが起こり、それをすべて自分で解決しなければなりません。苦しみながら一つ一つ建築をつくってきました。この過程が大切です。 建築を単なるビジネスと考えないで、「建築する意味、建築だから出来ること」を一生懸命考えてやってきました。建築をまとめきるのはたいへんなエネルギーがいりますが、ポイントさえ外さなければ、そんなに悪い建物にならないとも思います。建築することの責任を感じるとともに建築が面白くなり、今では大好きになってしまいました。
これを逆に言いますと、建築を単なるビジネスと考えていると、建築において大事なことや意味あることができず、建築が嫌いになってしまうということです。建築が面白いのは「社会からのはっきりした手ごたえがある」からなのだと思います。
現在、建築の世界もコンピューターなしではやっていけなくなりました。インターネットであらゆる情報が集まります。住宅メーカーは表面的な口当たりのいい営業をして、表面的に面白いもの、表面的にビジネスが中心になるものが横行しています。今のような情報社会では、本当に建築が好きで、建築が分かる人とそうでない人の区別が付きにくくなっています。10年仕事をやっている人に、2,3年しかやっていない人が表面的には追いついたかにみえてしまうところに問題があります。
コンペをやっていて感じたことはじつに素朴です。
建築をつくる根拠となる「社会への批評的精神が、ポイントを突いているか否か」です。この点が建築が面白くなったり好きになったりするところで、しかもとても時間がかかるところです。